学校に行きたくない?不登校24万人の現実

投稿者: | 2022年12月1日

不登校児童生徒の増加のニュースが賑わしています。新型コロナの生活に入り、3年。今回のデータをどのように理解していくべきでしょうか。コロナだから、増えたという直接的な問題だけでは片付けることは、いささか合点がいきません。

そろそろ、冬学期が見えてきたところで、子ども達にとって、1年も半分が過ぎて、学校にいけない、しんどいという時期にいる子ども達も多いはずです。

新型コロナとの共存する生活に入り、新しい生活様式への生活移行が余儀されました。ところが、新型コロナ以前の生活から見ていると、括弧付けで表現すると、こんな感じ。「子ども(現時点において生活環境で、何とか生活が送れている)」という条件付きの背景を持っていたという理解です。今回、話題になっている世代の乳幼児期の発達や家庭環境を見ていると、条件付きに当てはまるような家庭が、増加してきた印象を持っていて、今回の急激な生活変化により、子ども達がマイナスな反応を示したと理解しています。

子どもを取り巻く生活環境を考えれば、家庭での保護者の対応(保護車自身の生育歴も含む)や、成長に伴う生活ステージの変化、それに加えて制限下の生活が絡み合います。特に、子ども自身が持つ成長の弱さは、乳幼児期における保護者の精神的な問題が、マルトリートメント(不適切な養育対応)に作用するので、子どもの成長に強い影響を与えます。乳幼児期で終わらず、児童期青年期と続くことが少なくないからです。

新型コロナ下の生活で目にしたことは、改めて人間にとって、環境変化は命の存続において、危機的状況を与えるということです。人間社会が、続いてきている根底にあるものは、生物多様性として生き続けた事によるところが大きいはずです。

子ども達が生きる為の体験や学びは、まさに人間が生き続けるための知恵や知識、考え方などを学ぶことで、結果的、人間社会の過ちを繰り返さない為に、生き続けられるように、保育や教育が存在していると考えられる訳です。こうした、体験や学びの場が奪われた、括弧付き条件の子ども達が、一斉に影響が出たと考えるべきでしょう。

いじめの問題もまた、いじめる側に他人をいじめないといられない問題が横たわっていると、考えるべきで、現代社会に生きる子ども達にとって、個々の子ども達が抱える子どもを社会で支えきれない環境が、結果的に不登校増加となったと考えています。

そうなると、学校にいけない、行かない、児童生徒達が、学校での学びを子どもの実態に合わせ対応に運用するなどの、工夫が果たしてできるものなのか?。学校側の理屈ではなく、実質的な対応ができる柔軟な学習活動の運用をするべきです。すぐに、そうした事になりにくいので、敢えていいます。

アプローチとして、どうすれば子ども達に体験を送り届けることができるのかを、本質的にできうること総動員して与えた上で、可能性ある方法を見つけていくしかないでしょう。


https://www.shikoku-np.co.jp/dg/article.aspx?id=K2022102800000010500