なんで面倒をみてくれるの?

投稿者: | 2023年10月25日

「先生は、なんでうちの子のような子ども(障がい)の面倒を見るの?。若いのに、えらいじゃない!。」「うちの子どもの成長を、他人なのに我が子のように、喜んでくれるの?」若い頃、療育の現場で、親達から言われてきました。保護者達からすれば、どうして?、どうして?・・・なんだろうと思います。

この問いを考えてみます。私の障がいのある子どもと関わりや、関心をもったきっかけは、家族や親戚の身近にそうした方がいたと言うことではないのですが、すべて幼児期からの点、点、点、の体験が一本につながって今に至ります。

私の人生の中で、障がいのある人が、記憶の中で現れたのは、恐らく3歳終わりから4歳ぐらいです。その方は、強烈な存在感をもって、私の目の前に突如として現れました。今から考えれば、特別支援学校の中学生ぐらいの終えるお姉さんだと思います。小さい野崎ちゃんは、ある時、叔母と曽祖母につれられ、とある農家に行きました。

お庭の広いお家で、車から降りてから、まあまあの距離をテクテク歩いて、玄関に向かう。昭和にある昔の農家です。そこで、小さな野崎ちゃんは、生涯を決める出会いをします。曽祖母、叔母、そして小さい野崎ちゃんがそのあとに続いてついて行きます。その時に、大きな大人(女性)の人が、聞いたこともない声をあげて曽祖母に近寄ってきたのです。その場を見た時に、今でいうパニック気味になった野崎ちゃん。えっ?、なに?、なに?・・・。小さな野崎ちゃんにとって、自らが知る大人のイメージではない大人がいる、何と理解したらわからない大人が、曽祖母に言葉でないような声をあげて何度か寄ってきました。時には、三輪車をほおり投げてきたり、先頭をいく曽祖母が、何か二言三言を言って、応対していました。今から思うと、私たちの来訪に喜んでいたと行為だったのだと思います。

でも、小さいな野崎ちゃんにとっては、この体験は、言葉にできない、怖いという感情を感じとったのです。相手は大人に見えますし、当時の私にとって、知っている大人の姿とは、明らかなに違う振る舞いをする方であったからです。理解ができなかった、分からなかった、それが怖いという気持ちに繋がっていきます。その後、曽祖母、叔母、親から、「あの人はねェ・・」という説明や話をされることはなく、その後、何度か、そのお宅に伺うことが続きます。何度かそうした経験をします。そのお姉さんが、いる時もあれば不在の時がありました。この経験は、その後に私に大きな影響を与えます。

以前にお話をしたことがあったと思いますが、(仮名)コウジくんと出会うことになる幼稚園に入園することになります。2年保育が基本な当時で、珍しく3年保育。年少を2回、年長1回という変則な形。その幼稚園には、コウジ君をはじめ、障がいのある園児が在園していました。園庭で遊んでいると、お話ができないお友達がいたり、他のお友達から、「こうゆう子がいる」とか聞いてきて、遊んでいると園内で遭遇するという具合です。園児が多かったので、あそこで会ったとか、どこどこのクラスにいたということだったと思います。でも、先のお姉さんとの対面を、同時期に経験していることもあって、理解の経験(点)が繋がっていったように思います。その後、野崎ちゃんは児童期、思春期と成長をしていきます。しかし、その存在や経験は、頭の片隅に、静かに置かれ、その存在が年齢とともに大きくなっていきます。

私の幼児期には、たまたまそうした遭遇や出会いの環境があって、母親がたまたま保育士をしていたこともあり、両親などが障害のある人に対して。マイナスな意見や蔑視するような話を聞く事がありませんでした。こうした環境もまた、私にとってネガティブな印象にならなかった要因かもしれません。

さて冒頭の場面にもどりましょう。

とある母親からの質問、「先生はなぜ、うちの子のような子どもを面倒をみるの?」。こうした子ども時代からの経験が、このような仕事に向かわせているというような事を説明したことを思い出されます。

どうして、障がいのある子に、関わろうと思うのか。世間一般的にみたら、けっして世間一般的には見えないでしょうから、その保護者は、私にそのように質問されたのだと思います。

でも、これまでを振り返ると、全て点と点が繋がっているから不思議です。私の生きてきた歴史が、障がいのある子どもに向かわせたと考えると、これからの未来もまた、その点となる出会いや出来事に遭遇するのだと考えています。

私は、現在も一貫して考えいることは、保護者に未来に希望を持ってもらいたい、それは、我が子に未来への希望を託して欲しいと思っています。しかし、親もまた日々、迷いながら人生を送り、我が子と生活をしています。その生活の中で、親子のボタンのかけ違いがあるとするならば、そこはなんとか解決に向けて、サポートをしたいと思うのです。