出来るだけコストをかけずに子育てしたい?

投稿者: | 2022年10月28日

 親にとって子育てをするコストとは、子育てに関わる金銭的コスト、時間的コスト、身体的コスト、心理的コスト、こんな所でしょうか。この中で、金銭的コストは、金額としてはっきりした価格に表れるだけにはっきりと理解しやすいコストです。その他のコストは、金額に転嫁できるものもあれば、転嫁しにくいコストも含まれます。すべてを金額に転化することを無理にやろうとすれば、力技でできない訳でもありません。

しかし、実際の子育て家庭の動き、子どもの育ちに関わる問題を見ていると、家庭が抱える子育ての負担が、すべて金額に転化できるものではないのが、実際を見ていると、ここに課題が見受けられることが多いからです。例えば、子育てをできるだけ手をかけず、できるだけ楽にコスパのあるようにしたい、自分(親の意向)の思い通りに育てるようにしたい・・ということです。

親子関係、家族関係、子どもの発達の問題は、これらの関係が深く影響しあって、表面化します。親自身の生活問題、職場での問題、親としての言動、子どもが見せる行動面、子どもの集団生活(社会性や情緒面)、子どもが持っている発達問題への変化度合い(プラス面又マイナス面の変容)等が考えられます。

保育現場や学校現場で見ていると、こうゆう方向で、対応してもらったら、可能性が広がるのにな!、と思われる場面に多く遭遇します。ここ10年くらい前から目に見える感じで、家庭の子育て対応に、家庭ごとの差が大きくなっています。この間に、コロナも加わって、マイナスの影響に向かっている傾向にあります。子どもからすれば、これは環境面としての問題になります。

基本的な事を言えば、子どもの成長は、小さい頃からの積み重ねが、重要なのは言うまでもありません。子どもの成長で気になる面は、どの子どもにもあります。また、親自身は、子どもが生まれて、初めて実践的に子育てに突入していきます。ところが、冒頭で述べた子育てコストを考えると、金銭では転嫁できない負担や実際に他人任せにできないコストが、問題になります。例えば、保育料を払っているのだから、サービスを購入しているから、使う権利あると考える家庭は考えます。

子どもを育てる専門職者からすれば、その子ども自身の弱さを見極め、底上げができるような対応を考えて実践することが求められる役割になります。つまり、個々の子どもには、その子どもに適した育てる方や、経験の与え方、経験のさせ方が、絶対に存在します。ところが、家庭からすると、専門職者から、こうした提案をされると、うちでは問題ない、問題を感じないと一蹴するケースが少なくありません。これらの背景は、当然、その家庭が抱える生活問題が、保護者のそのような言動と結びつくことが少なくありません。

子どもが小さい時の成長では、家庭もいっときの問題として認知しません。それは、これから成長するから、まだ変化していくからという希望的観測です。でも、子ども達が取り残した成長課題を、積み上げた上で年齢として求めらる取り組みをして、揃える、並ぶと言うのは、子どもにはマイペースではなく、その子どもにとっては、早いペースで歩むことを求める事になります。それが、簡単でないのです。同級生は、どんどん成長していく、その子どもが集団から求められる振る舞いが刻々と変化していくからです。

できるだけ、苦手な所は丁寧に、一つ一つ経験を積ませて、一人で歩んでいけるようにしたい。今は、その時だから保護者と協力し合って何とかしたいと考えるわけなんですが、そこがうまくいきません。

家庭は、現時点を見ている、専門職者は、未来を見ている、そんな時間軸の差が、家庭と専門職者とのすれ違いが起きるのかもしれませんね。

乳幼児期から始まり、児童期、青年期と進む育ちを見ていると、その子の弱い部分を丁寧に対応して積み上げられていない事による問題が、大人になっても何らの生活問題として横たわりやすいです。親の手間として、今だけやれば、良いということでもないです。

目先を見るか、未来をみるか?。

私は、未来を見て、一歩一歩と積み上げる手間をかけた方が、子どもにとっても、家庭にとっても、すべての人々がハッピーになれる近道で、子どもの未来にある選択肢は、確実に広げられます。