子どものダメを部分を教えることから始まる対応はプラスに作用しない!。

投稿者: | 2022年10月17日

子ども時代において、「あなたは、ここがダメなの!」を理解させることは、果たして、どのような意味を持つものなのでしょうか。大人の理屈として、「ダメな所がある」→「ダメな所があることの反省」→「自分でダメな部分を直す」、という理屈が成り立つのではないでしょうか。

例えば、家庭場面で言えば、親がいう生活上の子どもの振る舞い一つ一つが親の思い通りにならない事がダメな事になりえます。先生業をされている方の場合だと、教える事があって、その学習内容を習得できない、習得できにくいと、ダメな事になりやすいです。

ここで、ダメな事を足りない部分とも言い換えてみます。子ども達が、自分なりの今までのやり方で、なかなか成果が出せず、大人達からダメと言われ続けてきた場合、大人はダメなことの逆を期待して、ダメな事を子どもに言い続けるわけです。

だから、自分自身に「ダメな人間なんだ」という魔法をかけしまうのです。大人からダメを指摘され続けてきた経験しかない場合、どうなるか?。人生、どうでも良くなってしまいます。今の子ども達は、残念ながら、大人から教えてもらうという文脈の中で、試行錯誤することが、できません。それは、周囲の大人に余裕がないためです。これらは、社会で起きている様々な事象が連鎖して生じています。

子どもにとって、足りない事を反省して、改めるということより、なぜそのようにする事が意味があるのかを諭して、子どもの考えに耳を傾ける。子どもは、大人から耳を傾けてもらえた経験が、子どもには必要なんです。ダメから始まる対応ではなく、必要なことを必要と考えられる機会が、日常生活場面で大切ということです。でも、これらは親にとっては、難しいことを言っていることは自覚して、述べています。

大人(親側、先生側)の課題を考えると、子ども達の成長に合わせて、大人が変化していくことが、求められる立場であるという現実です。大人からすれば、自分の生き方、生活のスタイルを優先したい気持ちに駆られます。でも、親としての役割を考えると、子どものために、立ち止まり、一緒に考えてあげるような我が子との関係を続けることを実践していくことをしてあげるべきです。

いつも、追われて、いつも恐怖と背中合わせで、人生に夢と希望をいだいて、生きようと思うでしょうか。答えは、ノーです。

心が満たされるとは、絶対的に安心感がある日常がなければ、その段階には到達しません。安心感は、子どもの安定感をもたらすため、こうした状況にある段階ではじめて、年齢層相応な自立・自律に、一歩一歩と歩ませていくものだからです。