シリーズ「うちの子どもに発達問題が指摘されたら?」の3回目です。今回は、支援制度と親の会の関係性を考えみます。
今日の様々な支援制度は、当事者やその家族、保護者などのソーシャルアクションの積み重ねにより、今日の制度として出来上がっています。支援がない分野や領域は、当事者や家族の声が、新たな法律や支援制度の誕生となるきっかけとなります。それだけ、先代の保護者が社会に対して発信し続けた賜物といえます。
障がいのある人を理解してもらうためのアクションを広く社会で行うことや保護者同志が、我が子の未来の行く末を案じて、居場所や生活拠点作りをしたりと様々な動きがありました。ある意味、保護会が果たしてきた役割が、地域社会にとってとても大きな存在でした。
制度がきっちりと整っている現在では、保護者が、声を上げる必要性が少なくなってきました。それは、現状のある支援メニューから選択するしかないという考え方もあるでしょうし、敢えて社会に声をあげなくても考える家庭も多くなってきていると感じています。
これらの支援環境の変化によって起きていることは、保護者の孤立化問題。子どもに対する支援があっても保護者に対する支援がないのです。特に配慮が、必要な子どもを持つ保護者からすると、もっとない。我が子の為に奔走する保護者がいる一方で、社会との関係を断つ家庭もあります。特に後者は、一番多いです。
ならば誰が親の会を作ればいいと考えがちですが、親の会が社会のニーズを拾い上げる力がある団体であれば良いのですが、現実は発起人と集まって世代が中心になる傾向が強く我が子の世代を中心とした活動になりやすい課題を抱えます。そうなると、親の会は次々と誕生はするものの、我が子の成長と共に、消えていく親の会も出てくるわけです。
こうした時代の流れの中で、保護者の本音や葛藤を支える仕組みが必要なんですが、支える仕組みがありそうでないのが、日本社会の問題でもあります。
地域の人々に知ってもらいたし、保護者同志が、協力し合ってできることはないかと考えることも必要だと思いますが、先に説明したようなソーシャルアクションのような動きは、現れにくい状況にあります。支えが必要でも支援が届かないのは、それは保護者の孤立化問題が根底にあります。また、支援者だけて取り組めない課題もあり、サポートされない課題は、家庭が判断しないといけない事があります。
そんな時にヒントになるのが、自分より先に子育てしている人々からの経験や実際の声は、若い保護者にとって、一歩を踏み出す情報になるはずです。
どうでしょうか。
孤立していませんか?
自分だけで社会と我が子に対峙していませんか?、