スマホ条例のざわめき

投稿者: | 2025年8月26日

愛知県豊明市のいわゆるスマホ条例の上程が話題になっています。正式には、「豊明市スマートフォン等の適正使用の推進に関する条例」というもの。

条例案を要約するとこんな内容

  • 目的: スマートフォン等の適正な使用を推進することで、子どもの健やかな成長と市民全体の健全な暮らしを実現すること。
  • 対象: 市民全体(子どもから大人まで)。
  • 使用時間の目安: 仕事や学習、生活に必要な機能の使用を除き、余暇におけるスマートフォンの使用時間を1日あたり2時間以内とすることを促す。
  • 時間帯の目安: 18歳未満の子どもについて、小学生以下は午後9時以降、中学生以上は午後10時以降の使用を控えることを促す。
  • 法的拘束力: 罰則規定はなく、あくまで市民が自主的に努力することを求める「理念条例」である。
  • 役割分担: 市、保護者、学校が連携して、適正使用に向けた取り組みを進めることを定めている。家庭においては、各自の使用時間や時間帯についてルールを決めるよう促している。
  • スマートフォンの利便性を認めつつも、過剰な使用が健康や生活環境に悪影響を及ぼすという認識に基づいて、市民一人ひとりが使用状況を見つめ直し、より良い生活習慣を築くことを目指す。

以上が上程された条例案ですが、子どもに悪影響があるから、親である大人も平等に制限しましょうという趣旨に見える。

ところが昨日(8/25)テレビニュースで市長が条文に記されていない理由を話されていました。私は、思わずそこか!、そんな気持ちです。

いろいろなSNSや動画で拡散されていますが、市では不登校が増えていて、不登校の子ども達がスマホから離れられないと・・・。そこが条例上程のスタートしているとの見解を述べていました。ネットやスマホの影響で家に引きこもっているという理解。

不登校が起因しているところが余計な説明でした。でもそこに原因を見出しているので、そうなるんでしょうけど。

近年、自治体の条例において、市民生活に過度な制約を持たせる条例が散見されます。香川のゲーム条例も大騒ぎになりました。罰則規定がないからとか言うけど、条例は物事を判断する指針になるわけですから、罰則がないからとか、理念条例だから良いわけではないです。条例は条例で、行政運営する上での基準ですから、基準を作ることに大騒ぎになっている訳です。何でもかんでも制限かけるような条約は社会正義なのでしょうか。

なぜ、不登校なのか?(ツッコミ「増えているから!」)。原因が、スマホばっかりしているからというは、大雑把するぎる根拠で間違っている。首長や議員は、なぜ表面的なところでしか問題性を理解しようとしないのか。

もっと言うと、日本人は、条例や法律がないと決まりが守れないのだろうか。学校のブラック校則の考え方と同程度に見えますが、皆さんはいかがでしょうか。

このような条例がいろいろなところで、出てくるのならば、ぜひ首長の皆さん、ぜひ嗜好品にも条例制定してください。

例えば

・アルコールは1日あたりビールで500mlで2本まで、     日本酒は2合まで。

・タバコは、1日5本まで

こうした条例をぜひ制定してください。アルコールやタバコは体に悪いから条例制定すると、どうなりますかね。治安も良くなる、健康になる。医療負担が減る。良いことばかりじゃないですか。今回市町村で条例制定することが、社会正義なのか?。こうして置き換え考えてみると矛盾が湧いてきます。

一方で、香川県と今回の愛知県豊明市と違ちがあるとすれば、県条例と市条例と適応範囲があります。県は日本国がある限り、存続すると思いますが、市町村は、いずれ統廃合され消える自治体になる可能性の方が高いので考えようですが、市町村レベルならば消滅する可能性がある条例と考えられなくはないです。そうやって割り切るか?。なお、香川のゲール条例は、県条例として通したかった議会があって、基本的には大人の事情で可決成立させました。

似たような話で言うと、埼玉県では、2023年10月に自民党県議団が、児童虐待防止に向けて、子どもの外出時に保護者同伴(子どもの留守番禁止)を条例に組み込み、これが発端で、社会を揺るがしました。結局は、廃案になりましたが、なぜ権力者はそのような行動に走るのでしょうか。神様になりたいのか?王様になりたいのか?、誰を守りたいのか?、何を守りたいのか?。

仮に豊明市のスマホ条例が可決したとしてと、良いか悪いかはこれからの歴史が判断することになります。可決するば、反対の声や危惧する声はなかったことになるだけに大きく社会問題にするべきです。

行政は、力技で何かをしようとすると、どうしても社会と行政との間には軋轢が生じます。今回もその一例です。