うちの子どもに発達問題が指摘されたら?その1

投稿者: | 2025年8月25日

幼児期に、健診や保育所、こども園、幼稚園等で我が子の発達問題を指摘さらたら、家庭の置かれる立場について考えみたいと思います。少しシリーズでこのブログで書いていきますね。

さて、保育現場で見ている子ども達の発達の遅れは、言葉の表出が一番認知しやすい状況なのですが、実は発語の有無のみならず、大人との関係性に見せる振る舞いに、他の子どもとは違う振る舞いを見せます。集団で見ていると、「何かが違う?」と思わせる状況が、1日の生活場面で見えています。保護者にとっては、なかなかその小さな変化を見極めることができません。それは、家庭では基本的、保護者と子どもの個別対応場面であり、保護者が常に先回りをする対応をするので、家庭では問題ありませんという認識になりやすいです。極端に育てにくさがあって、保護者として苦労しているということであれば別ですが・・。

また、乳幼児期には、むしろ苦労がないように見える子どもの中に、「この子、優秀なんじゃないか」と思われる子どもの中に、成長と共には問題ないわけではない子ども達もいます。自分のパターンにこだわるケース。

保護者からすると、黒と白みたいに問題の有無に一喜一憂をしがちだと思いますが、当面の問題はそこではありません。現時点から、少なくとも「うちの子に合わせた育て方を駆使する必要がある」という状態であると考えもらう必要があります。集団生活場面で、気になる行動面があるけど、医学的に何か診断が付くとか、付かないとかが、はっきりしない子ども含まれます。年齢の低い子どもならば、育て方(配慮含む対応)によって、近未来の成長度が変わる可能性があるだけに診断の有無は置いておいて、いまからこの子の弱さを見極め対応をした方が、絶対的に予後がいいからです。子育ては基本、手間のかけようです。

いろいろな子ども達を見ていると、これらの発達経過をたどります。でも、ここで書くと数行のお話ですが、保護者からすれば、そんな簡単な事ではないです。何らかの配慮やサポートを活用をするかしないか、現状維持を選択しがちです。この現状維持が問題で、支援は親の価値判断ではなく、子どもに合わせた対応や配慮を早期に取り入れた方が、我が子の未来にある選択肢が増やせます。こうして悩んでいるのは、このブログを読んでくれている、あなただけでありません。

支援やサポート、支援を促してくる専門職者すべてが、敵に見えませんか?。自分だけ(母親or父親)、社会から取り残さた気持ちにありませんか。そして、その気持ちは、我が子にイライラ、葛藤、不安など、言葉にならない気持ちの中にいませんか?。

保護者にとって、我が子の状況を理解する事は、とても難しさを伴わせます。私は、我が子のことを受容することは、短期間ではできないと思っているので、保護者に、我が子の成長を優先してという事はいいません。ただし、目の前の子どもは、生まれてきた以上、刻々と成長していきますし、年齢で想定される経験を与えたり、経験の重ねる上でうまく行かない事を見通して、その子どもに合わせて関わり方を探して、工夫を駆使して対応することが日々、必要になってきます。

この点は、保護者としての思いと、生きようしている未来ある子ども自身の可能性を広げるという意味では、不一致する立場です。

我が子が他の子と違うところに、保護者として敏感になっていると思いますが、毎日の生活は目の前にあるので、親としての役割を担うことに対して、シンドイ気持ちを、小さくすることが当面の課題となります。

シンドイ気持ちを小さくするための取り組みについては、次回に述べたいと思います。